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2008-06-14

祖母のこと


この記事は、私の亡くなった祖母に関するものです。
しめっぽい記事になると思いますので、楽しい気分でいたい方はスルーしてください。
自分の気持ちに区切りをつけるために書きます。





私の実家は田舎にある仕出しもするようなちいさい魚屋です。
戦中は調理師として働いていた祖父が、戦後に商売をはじめました。
子供が出来なかった祖母は店の跡継ぎになるよう、私の母を養女として中学生の時にひきとりました。
母は、20歳の時に結婚し、すぐに私を産みました。

祖母は自分に子供が出来なかったこともあって、私を溺愛しました。
母もまだ若かったし、入り婿になって商売を始めた父を支えるべく、お店で仕事をしていることが多かったので、私の世話はほとんど祖母がしていました。
小さい頃に母と遊んだりした記憶はほとんどなく、祖母と一緒にいた記憶ばかりが残っています。
そういう理由で、私にとっての【母】は、【祖母】でした。

祖父も私をたいそう可愛がってくれていましたが、私が小学1年生の時に交通事故で亡くなってしまいました。
市場へ仕入れに行く途中での、突然の事故でした。
助手席に乗っていた祖父は即死でしたが、運転席にいた父は、ハンドルの下にもぐったか何かで頭にケガをしただけで済みました。
祖父は頭が半分無くなってしまったと聞き、小学生の私は顔を見せてもらえませんでした。
お葬式の日、私一人だけ父母の部屋に呼ばれました。
そこには頭にメロンのネットのようなものを巻いた父がいて、私を見るなり「すまん・・・すまん・・・」と土下座をして謝ってきたのを覚えています。


祖父が亡くなった事がショックで、祖母は体調を崩し、病院に通院するようになりました。
といっても、重篤な病気ではなく、肩が痛いだとか、腰が痛いだとかで通院していたように思います。
何ヶ月に1回は、私を連れて大阪の病院に通っていました。
私は待合室で本を読みながら祖母を待っていただけですが、一緒に電車に乗って大阪まで行き、食事をして帰るのはちょっとした旅行のようでした。

股関節と腰が悪く、立ったまま仕事をするのは辛そうな祖母でしたが、とてもマメで、お店の仕事はずっと手伝っていました。
私が小学校の中学年になると、料理と、料理に対する姿勢を熱心に教えてくれていました。
私も包丁を使うのが大好きになり、祖母と一緒に何時間も野菜の飾り切りをしたりしていました。
毎年年末になると、仕出しでおせちを作るのですが、祖母と一緒におせちを作るのがとても楽しく、時間を忘れる作業でした。

高校を卒業すると、私は家を出て一人暮らしを始めてしまったので、祖母とは年に数回しか会えなくなってしまいました。
実家に帰ると、いつも嬉しそうに私を出迎えてくれました。


私が結婚して大阪で暮らし始めるようになった時も、祖母は股関節と腰が悪かったものの、まだまだ元気だったのです。


戦時中に、大阪の工場へ働きに出ていた祖母は大阪を懐かしがって、いつか大阪の私の家に遊びに来たいと言っていました。
その時、股関節の手術をした後だったので、調子が良くなれば大阪へ来たら良いと、私も軽く思っていました。

大阪で暮らし始めて半年後、お昼に1本の電話が掛かってきました。
実家にいる祖母からです。
話の内容は、地元の同じ商店街でお菓子屋を経営している一家が夜逃げしたというものでした。
普通の商店が夜逃げしたのならまだ分かりますが、そのお店の旦那さんは地元の現役の市会議員だったのです。
お店の事は、私が地元にいた高校生までの事しか分かりませんが、お菓子とパン(サンドイッチとか)も売っていて、そこそこ流行っていたように思います。
お店の娘さんも、一番上の子が私のひとつ下で、小さい頃は良く一緒に遊んだりしていました。
下は女の子の双子で、時々一緒に遊んでいた覚えがありました。
そのお菓子屋さんのおばあちゃんは、うちの祖母ととても仲良しでした。
というか、商店街のおばあちゃん達は、一緒に戦後の苦しい時を支え合ってきた間柄で、みんなとても仲良しなのです。

夜逃げは、そこのおばあちゃんが亡くなったすぐ後の事だそうです。
それだけでも私からしたらショッキングで、大ニュースなのですが、本題はここからでした。

夜逃げというからには、当然借金があって、その借金を踏み倒して逃げたのです。
億近い借金だったそうです。
その借金には連帯保証人が何人かいたそうなのですが、そのうちの1人が、何年も前に亡くなったうちの祖父だったのです!
夜逃げの翌日には、うちの祖母が銀行から数千万の借金を払えと督促されたのです。

祖母や実家にいる私の家族にとっては青天の霹靂です。
私も絶句して、口がぱくぱくするだけで言葉が出てきませんでした。

祖母も家族のだれも、祖父が連帯保証人になっているなんて知りませんでした。
祖父は交通事故で突然に亡くなってしまったし、保証人になった事を記した書類なども何もありませんでした。

とはいえ、保証人になったのは事実なのです。
祖父が亡くなったいま、保証人は祖母です。
いきなり払えと言われても、そんなお金はありません。

私は、そのお菓子屋の親戚や子供になんとか払って貰えないのかと、祖母に聞きました。
親戚は、みんな自己破産し、ちりぢりになったそうです。
子供は相続放棄をしたかなにかで、借金を払わなくてはいけない義務はなくなったと聞きました。
警察も動いて、夜逃げした本人の所在を掴んでいるようだが、どうしようもないって言われるだけや・・・と祖母は言いました。
どうしようもないって、うちだってどうしようもないやん!
とりあえずその時は電話を切って、夜に旦那に話をして、毎月いくらかずつでも仕送りをしてもらうよう頼むつもりでした。

その日、帰宅した旦那に昼間の話をしましたが、
「俺はおまえの親戚、家族でも金はビタ1文も払わん。そういうのは嫌いやから、無視する」
と何度も言われ、仕送りの話などとうていできない状態でした。



その後、私は旦那と離婚しました。
原因は他にもいろいろありますが、このことが一番のキッカケだったかもしれません。
はっきりいって、旦那とその両親はお金持ちでした。
こういう考え方だから、お金持ちになれたのかもしれませんが、その考え方は私には受け入れられないものでした。

祖母は、保険や積立金を切り崩して、まとまった額のお金をとりあえずは返済したようです。
それでも2千万ほどの借金が残りました。
祖父が保証人になり、お菓子屋の一族が夜逃げして踏み倒した借金が・・・・。
借金と督促してきた銀行も、事情が事情なので色々と相談に乗ってくれ、かなり安い金利で借り直しが出来たと祖母は話していました。

年金の殆どは、毎月の返済に消えていきました。
それから、祖母は年々弱っていきました。

私も離婚をしたことで、仕事と、住む場所と、お金を全部失い、ホームレス寸前の状態でした。
かろうじて友人の家を泊まり歩いて、寝る場所だけを確保していた時でした。

年末も近かった頃、夜にトイレに行こうとした祖母はくつしたを履いていて足を滑らせて、太ももを骨折してしまったのです。
年寄りは骨折をするとガクッと弱る事があると良く聞きますが、祖母もまさしくそうでした。
私は祖母のお見舞いに行きたかった。
でも、お金が無かった・・・仕事の面接に行く電車賃すらなく、友達の好意で居候をさせてもらってご飯を食べさせてもらっていました。
そんな情けない理由で、骨折をした時は一度もお見舞いに行けませんでした。



それから祖母は肝臓が急に悪くなり、入退院を繰り返すようになりました。
いつの間にかC型肝炎に感染していて、肝硬変、肝臓癌に進行していたのです。
とはいえ、毎月の借金がなくなったり、軽くなったりするわけはありません。
病院への通院、入院といった治療すら充分に出来なかったのです。

私は、やっと自分の住む場所をみつけ、仕事もみつかりました。
半年ほど順調でした・・・が、情けない話、新しい職場で知り合った友人に騙され、ごっそりと借金をつくるハメになってしまいました。
色んな(無料の)機関へ相談に行きましたが、どこにも取り合って貰えませんでした。

数年は自分が食べていくのがやっとで、実家に帰る余裕も時間もありませんでした。
新しい仕事もみつけて、再婚もしましたが、祖母が借金を背負ってから弱ってきたので、いつか地元に帰りたいと思い、そのために仕事をがんばりました。
まだ寝たきりにはなっていませんが、股関節がかなり悪く、祖母は今までのように自由には動けなくなっていました。

祖母の介護は私がするんだと。
また一緒におせちを作ったり、料理を作るんだと。
具合が良ければ、私が車いすを押して、祖母の好きな大阪や京都をまわるんだと。
そう思って必死に仕事をしました。

借金も3割ほど返した頃、旦那が交通事故を起こしました。
ちょうど、このブログを書き始めた頃です。
それで、返した借金をまた借りなくてはならないハメになりました。
やっと少し落ち着いてきたと思ったら、またお金が無くなっていく。
かなり落ち込みましたし、五十肩になったりして体も壊しましたが、がんばって仕事は続けました。

そして、やっとレンタカーを借りて実家に帰れるようになったのです。
1年に1~2回だけのことですが、私にとっては本当に「やっと」の思いでのことでした。
2年前、実家に帰った時は、祖母はほとんど寝たきりに近い状態になっていました。
股関節が痛くて、起きていられないのだそうです。
一緒に近所を車いすで散歩したりしたかったのですが、そういう事ができなかったので、祖母の部屋でいろいろおしゃべりをして過ごしました。
戦時中の事。
祖父と一緒に商売を始めた頃のこと。
そして、借金のこと。
とにかく、いろんな話をしました。



つぎに帰ったのは昨年の秋です。
9月の初旬でした。

祖母は地元から車で45分ほど行ったところにある大きい病院に入院していました。
入院する前、肩をしきりに痛がっていたそうです。
何をしても肩が痛いし、夜寝ていても痛い。
あまりにも痛がるし、そのうち腕がぱんぱんに腫れてきてしまったので、大きい病院へ母が連れて行きました。
そしたら、なんと脱臼をしていたのです。
たぶん、ベッドや椅子から起き上がる時に股関節に力が入らないものだから、肩に負担が掛かりすぎて脱臼したのだろうという事でした。

私は旦那と一緒に病院へお見舞いに行きました。
夜逃げをされてから8年目にやっと、入院中の祖母を見舞うことができたのです。
祖母は大きいサポーターみたいなもので、体に腕を固定されていました。
肩もかなり悪くなっていて、脱臼を直すためには手術をしないといけないそうなのです。
ただ、もう肝臓もかなり悪くなっていて、手術をする体力が心配だと主治医のお医者様に言われていました。
お見舞いに行った時に、肩の手術をどうするのか祖母と話しをしたところ、肩が痛くては何もできないから、なんとか体調を良くして、肩の手術をしたいと言っていました。

私がお見舞いにとマドレーヌを渡すと、小さいがま口のお財布から5千円札を抜き取り、お小遣いにと私に渡すのです。
祖母は、借金ができてから、何かにつけて電話口で私に何も買ってあげられないのが辛い、悲しいと言っていました。
私もいい大人ですから、祖母に何か買って欲しいとは思いません。
それよりも会いたいと思っていました。

そんな祖母がお金を渡してくるのです。
入院中だから、あまりお金を持っているわけがないのに、お財布から抜き取って。
一瞬、どうしようか。と悩みました。
でも、このお金はありがたく貰っておいたほうが祖母が喜ぶと思い、受け取りました。
そのお金は生活費だとか、交通費には使わず、何か自分たちが楽しむ事に使わねばと思いました。
そこで、私は旦那と一緒に映画を観に行ったのです。

その帰りに、もう一度病院に寄りました。
そして、もらったお小遣いで映画を観てきたと、とっても楽しかったと祖母に話したのです。
そしたら、祖母はとても嬉しそうな顔をして、それなら・・・と言って、もう一度がま口に手を伸ばしました。

がま口を開いた祖母は、次の瞬間とても悲しそうな顔をしました。
お財布にはあと3千円しかお金が入っていなかったのです。
祖母は一瞬どうしようか・・・と悩んだ顔をしましたが、その後お財布からそうっと2千円を抜きました。
私は胸が詰まって
「おばあちゃん、もういいから。お金はまたいろいろと必要になるし、気持ちだけもらっておくね。ありがとう」
と言い、お金をつまんだ祖母の手を軽く押して、がま口にお金を戻しました。

その後、帰りの車を運転しながら、夜逃げをした一族に対し、猛烈な怒りがわき起こってきました。
がま口をあけた時の祖母の悲しそうな表情。
祖母にそんな思いをさせておいて、今頃どこかでのうのうと生きているのかと思うと、許せない、やりきれない思いでいっぱいでした。

その翌日に私は大阪に帰りました。
帰りにもう一度、祖母の入院している病室に立ちよりました。

ベッドのまわりのカーテンが引かれていたので、カーテンをちらっとめくって中をのぞくと、祖母はいびきをかいて寝ていました。
まだ夜の7時くらいだったので、「おばあちゃん、帰るの、また来るでの」と声をかけると、祖母は「ハッ!」と起きて私を見、大きな声で
「おねえちゃん、○○(旦那の名前)さんと仲良くね~さいなら。さいなら。さいなら~」
と言ったのです。

私は帰りの車の中で、どうしてあんないい方をしたのかと、とても悲しくなり、涙をこらえるのに必死でした。
結局それが、祖母との最後の会話になりました。
祖母は分かっていたのでしょうか。



その2週間後、深夜に母から祖母の容態がかなり悪いと電話がありました。
まだ話しかけると答えるし、先生も急変することはないだろうと言っているとの事だったのですが、いてもたってもいられなくなり、翌朝にレンタカーを借りて、うさぎ2羽を連れ、仕事を休んで実家へ飛んで帰りました。
病院についたのは、お昼過ぎくらいです。
祖母は荒い呼吸をして、意識はない状態でした。
病室には祖母の妹にあたるおばさんがいて、昨日は一晩中わがままを言って起きていたと話していました。
今はきっと寝ているんだろうから、そっとしておいてやったらどうかと。
私が枕元に言って呼びかけても返事はありません。
寝ているにしてはちょっとおかしいのではないかと思いましたが、おばさんも母も落ち着いた様子だったので、私も腰を落ち着けて祖母の手を握っていました。
そのまま1時間くらい、運転の疲れもあって、祖母の手を握ったままボーッと放心していました。

ふっと何かの気配があって、祖母の顔を見ると、必死に目をあけようとまぶたが動いていました。
ちょっとだけ目があいて、祖母と目が合いましたが、すぐに目は閉じてしまいました。
そのあと、祖母の目から涙がつつーっと流れてきたのです。
私はティッシュで祖母の涙を拭きつつ「どうしたの?どっか痛いの?大丈夫やで、帰ってきたで」と話しかけましたが、反応はありませんでした。
夕方になり、母が来て「祖母も今夜は落ち着いていると思うし、私はずっと車を運転して疲れているだろうから実家に帰って休んではどうか」と言いました。
私も実際疲れていたし、うさぎも車に乗せっぱなしだったので、いったん実家に帰ったのです。

実家に用意してあるケージにうさぎを入れて、うとうととしていました。
深夜の12時か1時くらいだったでしょうか。
うさぎは怒ったりびっくりしたりすると「足ダン」と言われる行動をします。
足を「ダンッ!」と大きい音が出るくらい地面に打ち付けるのです。
その日、外吉もタズもそろって足ダンを始めました。
起きていって撫でてやると足ダンをやめるのですが、私がウトウトしだすと2羽揃って足ダンをして大暴れするのです。
あまりにも暴れるので、うるさくて眠れない・・・と思っていると、携帯が鳴りました。
深夜の2時くらいでした。
電話は母からでした。
出ると、母の嗚咽が聞こえてきました。
私は「わかった」と言って、携帯を切り、服を着替えて車に飛び乗り、病院に向かいました。
信号も何もかも無視してすっ飛ばしました。
病院までは45分掛かりますが、15分ほどで着きました。
祖母はついさっき亡くなったばかりでした。
まだ頬に触ると暖かく、やわらかかったのです。

その後、お通夜、お葬式とありましたが、私は祖母のそばについている以外の時はずっと調理場に立って料理をしていました。
集まってきた親戚達の分の食事やおにぎりをもくもくと作っていました。
祖母に食べさせたかった料理をかたっぱしから作りました。
私にとって、料理をするのは祖母に繋がる事なのです。
料理をしながら、これは祖母の味。このやりかたは祖母のやりかた。と祖母を偲びました。

借金のせいで、お葬式を出すお金がありませんでした。
いろいろ掛けていた保険は全て解約していたからです。
わずかな定期預金や積み立てをくずして、お香典で足りなかった分の葬儀代をやっと払えました。
私や母、祖母の妹は、借金を押しつけて逃げた一族憎いとみんなで泣きました。
もちろん遺産はありません。
むしろ祖父から祖母、祖母から父母へと残された借金が引き継がれました。

祖母はオシャレな人だったので、いろんな宝石を持っていました。
生前から、自分が死んだらこの宝石は誰に、この宝石は誰にと渡す人を決めていました。
その宝石は借金を減らすために全部売ることになりました。
二束三文ですが・・・。

今、私の手元にあるのは、祖母が愛用していたポーチと、祖母のお骨の一部だけです。
何もないよりはマシかもしれませんが、これだけしか残せなかったのは祖母も相当悔しかろうと思うのです。


先日、祖母の納骨がありました。
私の中で、納骨が終われば一区切りついて、少し落ち着くのではないかという思いがありました。

実際は何も変わりません。
祖母と緒にやりたかった事が何も出来なかったことに対する悔しさ。
自分のふがいなさに対する怒り。

そして、夜逃げした一族に対する怒り。
長女は美容院を経営し、二女も美容師に。三女は看護婦になったと聞きます。
結構な事です。
みなさんそれなりに苦労はしたでしょうが、夜逃げした側とされた側では大違いだなと思ってしまいます。
夜逃げをされなければ。
借金が無ければ、祖母ももうちょっと長生きできたかもしれない。

もうすぐ祖母の初盆があります。

その次はすぐに一周忌です。

いつになったら夜逃げ一族に対する怒りがやわらぐのか。
今でもふっと祖母の事を考えてしまって、涙が出てしまいます。
仕事中でもです。あくびをしたフリをして誤魔化しています。

ちょっとだけ嬉しいニュースもありました。
銀行や組合と話をして、残りの借金がほぼ無くなったそうです。
それでも完全に帳消しになったわけではなく、数十万を払わなくてはいけなかったそうですが、なんとか払いきったと母が言っていました。

祖母が生きている間に無くなっていればと思わずにはいられませんが。

この状況を見て、祖母はなんていうでしょう。
どう思っているのでしょう。
もう祖母の口から聞くことはできません。

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なし

丁寧なブログ大事によませていただきました。
どうもありがとう。
泣きっ面に蜂とかよくいったもので
辛いときには焦っているせいか不幸が集まりやすく、
また金に余裕があるときは、運がよくなったり
いろんな人を見てきましたが、運命というか
流れと言うか、人には先を読めないことがおこるものです。
お婆さんはなくなってしまったことは残念ですが
チラが孫で本当によかったんだと思います。
最後の時に一人でも心に思い返せる大事な人がいるというのはとても人生を生きてきて意味のあることだと思います。

夜逃げした人たちは許せませんが、
自分が見てきた人の中でこんな人が居ました。

ある病院の院長で大金持ちの人がいました。
知り合いがその人と知り合いだったのですが、
最後、身内では遺産を残したい人が一人も居ないまま死んで行ったそうです。
ソバには可愛がっていた犬が1匹いただけで、他には金が欲しいばかりの親戚しか残らなかったそうです。
その知り合いはいまだにその人の墓に参るのですが、誰も花を添える人は見たことが無いそうです。
死んだらもう用は無いのでしょうね、親戚は。
人の遺産は金と縁だと思います。
晩年のチラの祖母はお金の無いただのお年寄りだったのに、チラのように慕う人が居て、泣いてくれる人々がいるっていうのは、
そのまま人格者だったんだと思います。

チラの誇れるお婆さんにご冥福をお祈りいたします。

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No title

 涙が止まりません。陳腐な言葉しかいえないけど、それでも、涙が止まりません。ぷぅは、LSでの明るいちらちゃんしか知りませんでした。こんな悲しいことがあったなんて、微塵も見せないちらちゃん。尊敬します。
ぷぅには、わからなかったけど、神様は絶対見てます。ばるさんのコメントにもあるように最終的には人間性だと思うのです。(だからと言って、ちらちゃんのご家族、ちらちゃん自身が被った悲しみは癒えませんが)
ブログに書き記す作業の辛さ、以何ばかりかと思います。けれど、それを乗り越え不特定多数の人へメッセージを送ったちらさんを尊敬します。
ぷぅちゃんの持論で申し訳ないんだけど・・・誠意を以て頑張った人は、必ず報われる。この言葉を、ちらちゃんに心から贈ります。

ちらりへ

久しぶりに、PCをたちあげて、はじめにURL開いたよ。
大丈夫かい?
最近なんか様子が変だなぁと感じてはいたけど、過去にとても辛い出来事があったなんて・・・ちらとはまだ出会って浅く、そんなちらをみるのは初めてで、人生うまくいかずにいてネガティブな自分がとても恥ずかしく思え、ちらと、ちらのお祖母様をとても尊敬します。

こんなとき、どう言ったらいいのか、私の人生経験の浅さに腹が立ちます。

本当にありきたりな言葉になってしまうかもしれないけど、人生楽あれば苦もある、これからちらとちらのご親族の皆様には幸せが必ず訪れるよ。
辛い事以上の幸せが。
これから新盆、一回忌、三回忌とあり、傷はなかなか癒えないと思うけど、関東の遠い空の下とヴァナディールの中でちらのこと応援してるね。
辛くなったら、私でよければ胸を貸すよ。
元気になったら、また遊ぼうね。

お祖母様のご冥福をお祈りいたします。





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No title

Σ某様

コメントありがとうございます。
88歳のおばあちゃん!米寿じゃないですか!おめでとうございます。
一緒に暮らしていると、某様のように思う(感じる)のは普通というか、ほとんどの人がそうなのじゃないでしょうか。
それでも、残りの時間はやはり大事にしてもらいたいなと思います。
きっと今頃は孝行しているんでしょうね(´∀`)



Σバルジブ様

うちの祖母は金は残りませんが、縁は残りました。
良いことに気付かせてくれてありがとう(´∀`)
実家に帰る時に、これから毎回寄る所が2箇所あります。
祖母の妹のところと、同じ商店街の中に住んでるおばあさんのところです。
商店街のおばあちゃんは、他人ですが、祖母の事をとても思っていてくれた人でした。
なんと、今年90歳になりますが、一人暮らしをしているのです。
祖母が死んでかなり落ち込んでいるのですが、私が顔を出して話をする事で、ちょっとでも元気をわけられればと思います。



Σ匿名様

匿名様のコメントを見て、ハッとしました。
祖父がどう感じているかとか、考えた事がなかったからです。
確かに、一番辛いのは祖父ですね・・・自分のした事がこういう結果になってしまったのですから。
悲しみを無くす事はできませんが、また楽しいブログを書きます!
またいらしてください(´∀`)



Σぷぅちゃん様

ぷぅちゃん、ブログに来てくれてありがとう(´∀`)
いきなりこんな湿っぽい記事でびっくりしたんじゃないでしょうか・・・ごめんね。
「必ず報われる」その言葉を信じてがんばります!



Σりふこ様

人生うまくいかずに…ってりふこは言うけど、みんなそうなんじゃないかなと思います。
自分から見て「うまくいってる」ように見える人でも、話を聞いてみると色んな悩みや苦しみを抱えているもんなのだなと思わされる事が多いです。
生きていくのって辛いよね。
お互いがんばって生きましょう。
またヴァナでも遊ぼうね(´∀`)何しようかなぁ~

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